日本の源流を求めて・・・

2010年8月28日(土)
日本の黎明期

最近のニュースを見るにつけ暗い話題が多い。

先日タイミングを見計らったような久々の卑弥呼話題を見つけた。

通称三国志魏志倭人伝に記載の倭国乱れその後女王卑弥呼が共立されたとある紀元2〜3世紀にかけての気候変動が判明したと。
その時期のものとされる木の年輪から年単位で降水量を計ることができたらしい。

その研究から類推されるのは、このころの気候変動つまりは周期的な干ばつや大雨で社会情勢が不安定になり女王卑弥呼共立に至ったのではないかと。

以前から卑弥呼共立以前の「倭国乱れ」の背景については合理的な論文がなかっただけに気候変動や降水量に裏づけされた考え方は注目に値する。

その混乱の中で諸部族の代表として三国志のいう「鬼道に長けた」卑弥呼が共立されたならつじつまが合う。

こういう考古学的な発見研究と神話や文献との照らし合わせは今後の日本の黎明期を解明するに有効であり、そして楽しみでもある。

卑弥呼の出自
2010年8月6日(金)
弥生の里山 時空を越えて
このタイトル「時空を超えて」がなんともなまなましく、また、昔の空を連想する清々しさがありますね。

昨日8月5日読売新聞の1面トップ記事タイトルである。奈良県御所市の中西遺跡ということでは西日本版のみでしょうか。

紀元前400年頃の弥生人の裸足で歩いた足跡が見つかったそうな。

2400年前の生活痕跡が偶然残り、そして発掘は橿研により計画的に創造的になされたと想われます。エールを送ります。

立木を切りやすくする為、燃やし炭化させた後伐採したようです。その周囲を裸足で何回か周っているのは信仰と無関係ではないとの指摘もあります。

どうも裸足で木の周りを何か唱えながら周っている姿からはニューギニアやアマゾンの原住民を思い描いてしまいますが、失礼ながら草食系農耕民族の弥生人にはあのエネルギッシュさはない、と考えます。

イメージは左のイラスト→
2010年7月13日(火)
祇園祭
祇園祭は平安時代に疫病・怨霊を鎮めるために祇園社の祭礼として始まり、以降、民衆により趣向を凝らした装飾で山や鉾で巡行・行列し、人びとの注目を集めるようになったとのこと。

現在は32基とのことですが、応仁の乱の前には50基以上もの山鉾が巡行したと記録されています。実はこの祇園祭、山鉾巡行の17日が有名ですが、鉾町や八坂神社では7月1日からから31日までの一ヶ月に及ぶ行事が執り行われています。

平安遷都の昔、桓武天皇は幾重にも平安京の守護を祈願・腐心していたようです。平安京が四神に守られた地形にもかかわらず、四方に大将軍神社を配置し、かつ鬼門の北東方向には比叡山延暦寺を配するという徹底ぶりです。この祇園祭もその一環だったのかもしれませんね。

日本の歴史は、恥と怨霊の歴史だとの言い方もあるくらいに、怨霊に対する警戒感は重みがあります。人間の弱さの現われかもしれませんが・・・

桓武天皇の場合は早良親王(崇道天皇)に対する鎮魂か?ともいわれていますが、余程のことだったと推測されます。

7月13日現在の鉾建て状況
2010年6月18日(金)
何でもあり・・・
不動産業者に騙される前に・・・(原文は不動産屋)
を枕詞に情報商材を売らんかな。キャッチコピーになっているようです。

基本的には経済自由の原則、自社商品の販売活動には比較広告も必要であろう。しかしその実、現在の日本社会におけるいわゆる比較広告の通例慣例は、下位が上位を攻め上げる、ないしは、先行する企業を後発が追いかけるため、という図式で私は見ています。

先行するリーディングカンパニーが後ろから追ってくる企業・集団をマキビシで蹴散らすとは独禁法違反も考えられるというもの。※大げさだね〜。( ̄_ ̄ i)

もともと日本社会において比較広告というものは根付かないのではないか、というのが私の持論です。

集団的稲作が始まる弥生時代よりこの方、発想は集団的農耕民族よろしく相互協力社会を形成してきた。
聖徳太子の言を取り上げるまでもなく。

他人を蹴落とすのではなく、相手に対する配慮を保ちながら共存してきたように思います。

たまたま先日の読売新聞解説委員橋本「五郎ワールド」。プロボクシングのカシアス内藤選手の「日本人的優しさ」と「小沢氏はなぜ嫌われる」を対比して取り上げています。

それはホリエモンや村上ファンドの村上氏を見ても分かるように、何でもありの世界は羨ましくもあり、簡単には許容できない日本人の性なのかもしれないと感じます。
今はまだ、と付け加えておきます。
窓越しに見える京都タワー
2010年6月4日(金)
大国主命は・・・
先日の読売新聞情報によれば、「知的情熱 自説も覆す」の見出しで梅原猛氏の著書「葬られた王朝」を紹介しています。

過去に発表した自説を訂正するという離れ業に「意気軒昂」と好意的です。

梅原猛氏といえば、日本の思想界をリードする重鎮、文化勲章受章者、哲学者です。過去の立場実績を省みず自説を訂正するには膨大なエネルギーと勇気が必要です。

比較するもおこがましいが、最近では経済学者の中谷巌氏の例があります。彼の場合は「転向」と受け止められましたね。そこは人徳の違いでしょうか。

で、訂正した内容というのは、大国主命の出雲王国を肯定するというものですが、原因には考古学的発見と神話的伝承の照らし合わせがあります。

氏も検証したとおり、考古学的発見は、年々、発掘と分析方法の進歩により新事実を紡いでいきます。ですから考え方の進捗は仕方のないことですね。

歳はとっても知的好奇心旺盛な梅原氏にはまだまだ古代史の謎に向い合って頂きたいものです。
2010年5月26日(水)
源流と分水嶺
川の流れは絶えずしてもとの水にあらず、澱みに浮かぶ泡沫は・・・・

その川の源流を見たという人は少なからず居るように思います。しかし、その川の源流が「方や右に方や左に」という様を見た方は少ないのではないでしょうか。

しかもそれが流れ流れて一方は日本海へ、一方は太平洋へ、となればロマンチックそのものです。

さほど距離もない場所に落ちた雨水や地下から湧き出た水が何の因果か日本海と太平洋に分かれると思うと感慨深いものがあります。

その昔、偽学生?だったころ無性に見てみたい衝動に駆られ、取るものもとりあえず電車に乗り、その頃よく旅をした信州長野へ向かった覚えがあります。
結果は、山歩きしただけ、に終わりましたが、この源流の流域の分かれ目である分水嶺と言う言葉が鮮烈に私の脳に収まりました。

そして戦利品もありました。信州の山から下り、訪ねた新潟の山里の高校で地理を教える先生からもらった「高等地図帳」。分水嶺が見れる場所を記載してもらったもの。。。

この頃から源流に興味を持ったような。
京都の鴨川に鯉が大量繁殖
2010年4月12日(月)
ゲストハウス&シェアーハウス

ゲストハウスやシェアーハウスが増えてきましたね。特に京都は観光都市ということもあり、短期滞在にはゲストハウスが選択されているようです。一点集中型滞在ということで宿泊コストをできるだけ抑えたいのは全地球的に考えることは皆同じようです。

朝晩になるとバックパッカー風旅行者やバックを曳く小集団がやたら目に付きます。一昔前なら、団体で駅前ホテルや大型ホテルに直行で目に付くこともなかった旅行者が、ゲストハウスやプチ旅館へ行く過程で人目に見えるようになりました。

そしてゲストハウスの活況を見てかどうか、国内旅行者や出張ビジネスマンにも受け入れられているようです。

不動産の有効活用です。どんどん時間的空間的ロットが短く小さくなってきています。有り余る不動産をいかに有効活用していくかが今後の課題ですね。

2010年3月11日(木)
強いものは生き残れない

人間の原点回帰を訴えるかの環境変動説。
もともと人間は協同作業をしながら環境適応し、社会言いかえれば「利他社会」を形成してきた。

しかし、現在、個人の利益追求が中心となり、「利己社会」に突き進んでいることは社会を崩壊させる方向性をはらんでいるのか?

自己矛盾ともいえる人間の性に、「環境」は専門としても「道徳」までも論じるところには、吉村仁の生物学者にして哲学的なにおいが感じられ、標題の著書は進化論のバイブルとも感じられる。

繰り返し読み返したい良書である。

2010年2月27日(土)
東風吹かば にほいおこせよ梅の花 主なしとて春な忘れそ

古くから伝わる怨霊の世界。その中でも最大規模の「怨念」の持ち主が菅原道真公。
下京区に菅大臣神社という道真公生誕の地ともいわれる菅大臣神社がありますが、現財務大臣が国会で指名されるたびに思い起されます。

この最大規模の「怨霊」を収める為に創建されたのが北野天満宮。2月25日は命日の梅花祭も執り行われたようです。長岡京遷都の崇導天皇こと早良親王も亡くなってから「おくりな」が贈られています。
道真公も平安京に災難があるたびに怨霊として祀り上げられ、生前の右大臣格から左大臣そして太政大臣へと行政官のトップまで登り詰めています。
当時の時代背景つまりは権力闘争とその対応には今に通じるものがあるようです。
右は境内の長五郎餅、伊勢の「赤福」に通じる味の良さです。



2010年2月6日(土)
西暦248年とは

西暦248年に日本で日食があったということは科学的に証明できるそうです。
そしてその年、それは中国魏の時代の正始8年のことで、倭国の卑弥呼がなくなっていると三国志魏志編倭人の条に綴られているという。

古事記で記載されている天照大神の天岩戸事件が日食を表現しているとすれば、女王卑弥呼と女神天照に共通性があると考えるのは不思議ではないでしょう。

古の時代、日中急に暗くなる現象を神と関連づけ大騒ぎすることは、昨年悪石島皆既日食ツアーが大盛況だったことも考え合わせると納得します。


2010年1月23日(土)

吉野ヶ里遺跡、纏向遺跡そして三内丸山遺跡は大和政権以前の日本の国の成り立ちを探る上で欠かせない重要遺跡です。

その吉野ヶ里と纏向双方関係者はともに「卑弥呼の邪馬台国は我が方」と言ってはばからない。その邪馬台国卑弥呼は三国志魏書東夷伝倭人条に登場してくる。そして当然ながら魏呉蜀の英雄が活躍した戦国時代に卑弥呼も活躍していたことになる。

しかし、その当時の復元貫頭衣等の衣服や住居を見るにつけ、三国志の都市ロケーションとの違いを痛感してしまう。特に住居等建築物については三匹の子豚並みの違いがある。

卑弥呼も多分そう思ったに違いない。だからこの朝貢により日本の国家としての姿形が整えられ、その後の目覚ましい建築土木技術の流入を見るにいたったのでは。謎の4・5世紀をへて大阪南部に巨大古墳が出現することになるのだから。

2010年1月5日(火)
井沢式「日本史入門」

「逆説の日本史」井沢元彦氏がその著書を読みやすくした単行本が出ました。

今さら日本史入門でもなかろうに、この本、逆説全19巻を俯瞰、補てんするために再構築したものだという。今のところ徳間文庫からナンバー2まで出ているようです。

歴史的事実を深読みできる素養と事実を大胆に切る発想は特筆ものでしょう。日本人のルーツから現代までの事柄を縦横無尽にタイムトラベルする書き方は、読み手を妙に納得させる表現方法です。

昔起こった事件が今によみがえることは日常茶飯事。歴史の連続性を常に考えている氏の歴史観に興味を持つこと間違いなし。日本の源流が浮かんできます。


2009年12月17日(木)
日本辺境論

あちこちの本屋さんでベストセラーにランクインの内田樹の近著です。

本人もあとがきで言っているように、終盤力が入ったようで、「ぼく」から「私」と主語を変更させねばならないほど
哲学的な言い回し方でエスカレートした著書のようです。

日本人ほど周りを意識し過ぎる人種はいないと。ただそれが上位者からの学びと結びつきキャッチアップ思考となるも、主体性がないと。

この性質は日本が魏の冊封体制に組み込まれ、表意文字を受け入れた時から始まるといい、既にこの方2000年日本の伝統になっているものであるとも。

たしかに現在の政治・経済の色んなシーンを見ていても、政策・方針は独自路線からではなく他者との比較から始まっている。そしてそれをうまくコントロールもしているのも事実。

そして、日本人とは何か、日本人論、こういうジャンルが持てはやされるのも日本独自の傾向で、かたや中国ではこういう議論が活発でないのは華夷思想に基づくものであると。

偏狭なナショナリズムではなく、歴史や事実の収斂の中で熟成された方向性を尊重しつつ、事柄の本質を自分の意見で自分の言葉で語れるようにならないといけないと言いたいのでしょう。

大きなテーマだけにあちこち内包する小テーマがあることも確か。自分を考える材料にも良いかもしれませんね。(笑:日本人の典型です)

2009年12月12日(土)
日本人のDNAと土地活用

以前から古代史研究者により史実からも検証されていたことが、科学的にも立証されたようである。
その読売新聞の要旨は、日本人のDNAは「本土型」「琉球型」の2分類に大別されるというもの。

ご存知の方も多いことではあるが、「本土型」は「髪の毛が硬く・乾いた耳あか」で、「琉球型」はその逆だと。地域分布では北海道はほとんど「本土型」で、近畿・九州は「本土型」「琉球型」が混在。
沖縄地方はほとんどが「琉球型」。そして「本土型」のほうが中国人と遺伝的に近いと。

このことからも、日本人の大方のルーツは、大陸から東シナ海や朝鮮半島を経てやってきた、「その後弥生人といわれる渡来人」と思われる。

北九州から渡来した弥生人が先住民族である縄文人を同化していくことで、日本列島を侵食していったといわれる。その追い詰めた極限が列島の南端と北端である。

※この検証にはアイヌの方の調査が必要であり、その結果が「ほとんど琉球型」でないと困るが。そのころに今の日本の代表的な姿が形成され、現在に繋がる集団水郷稲作という不動産活用(小作)が始まる。

狩猟を重きに置く縄文人には、定着農法はほとんど見当たらない。

それから延々明治時代までの約2000年間不動産は所有ではなく、小作・賃貸が中心であった。
それこそ集団稲作に始まる賃貸の考え方が日本人のルーツではなかろうか。

信託業法も先年改正されたこともあり、新たな収益還元の考え方ができないかなぁ、と不動産の波が来る度に思う。

無理やりでも不動産に繋げます。m(u_u)m

2009年12月7日(月)
平城京の役人の住居から

今から1300年前の奈良時代下級役人の生活実態、という読売新聞の記事が目に停まりました。

敷地は広く家屋は狭いものの家賃はタダだったようです。職場まではドアツードアで1時間ということも影響しているのか、初位下という最下級の役人でも土地の広さは64分の1町の約250uだったとか。

人口は今と比べようがなく比較はしにくいのですが、土地は75坪もあったのですね。
うらやましい限りです。

収入の方といえば、米価から想定した金額では年収は230万円程度だという。住居負担がないということでは現在の公務員宿舎に充当し、今に通じる生活感覚です。余禄としては広い庭先で野菜等を栽培し家計を補っていたということでしょうか。
日本の生活実態の連綿とした歴史伝承がうかがわれます。

2009年12月1日(火)
最古の土地売買契約書

数年前に、法隆寺に隣接する土地の売買を記録する契約書が見つかったとのニュースを聞いたことがある。
多分これが現存する不動産契約書の最古のものだろうということでした。

時代は平安時代の西暦900年代の頃。都は京都に遷り、
奈良の宗教的存在をつなぎ止めておくためにも寺領確保が
必要だったとも言われていました。

内容の分析を是非ともお知らせして頂きたいものです。
有力者が6人が保証人として署名立会い、首長印があったとか。
その当時は不動産売買も格式があったようですね。

2009年11月27日(金)
9億円・・・

今朝の新聞報道で驚嘆された方も多いのではないでしょうか。首相が、5年間とはいえ9億もの桁違いのお金を母から受けていたと。
政治活動資金なのか贈与なのか、今までの疑惑にも増して新たな疑惑が出てきています。

いくら秘書の単独行為だとしても、公設第一秘書であり、資金管理団体の会計責任者と言うところは、見逃せないと思います。

「思い」とか「理念」を語ることには好感が持てるものの、自分の政治活動のベースに関わる人間も把握できない人にすべてお任せできるのだろうか、と単純に思ってしまいます。

八坂神社
2009年11月23日(月)
契約ごとは相手を思いやって・・・

人間はすべからく悪人であり、その悪の部分を契約書面で後々の為に残す。
至極合理的で無駄がないように見えます。どこのお役所仕事にも通じるような…。

アングロサクソンを中心とした性悪説ともいえる考え方は、遠い昔の縄文人と弥生人の緩やかな融合、明治維新の大きな変革時にあっての大衆の受け入れ方、そして今回の政権政党の交代という穏やかな社会の変革とは相いれないものだと考えられます。

ある意味性善説に則った行動形態が日本人には似合うのかもしれませんね。
完全契約社会のぎすぎすした社会構成よりも、YESでもないNOでもないという選択肢があっても良いのではと。

あくまでも契約書面は最低限の取り決めだと、行間にはもっと大切なことが隠されているんだと斟酌して行動すれば、契約関係のもめ事も少なくなるのではないでしょうか。

最近のQ&Aを担当して感じました。




2009年11月14日(土)
普天間問題

米国大統領オバマ氏来日で一段と普天間問題に日本中がイライラしています。
趨勢は皆さん見えているようにも思えますが、政権内部のみ割れていますね。
公約を履行する姿勢は貫きたいということでの、昔自民党が良く使ったガス抜き
という手法でしょうか。

ところで普天間、辺野古、宜野湾等沖縄には3文字地名が多いですね。
北海道もそうですね。富良野、岩見沢等。察するにこれも縄文人共通の痕跡でしょうか。
地名というものは、縄文の時代から場所の特性を区別するため付けたもので、
よび名は不変ともいいます。
地域の特性が今でも残っていると思うと感慨深いですね。

最終的な移転先になるであろう辺野古のキャンプジュアブ、これは米軍のベトナム戦争で活躍した方の兵士から取ったということを聞いたことがあります。日本では亡くなった人を神社の名称にするという事はありましたが、ものの考え方の違いはこんなことにも現れます。
ハイレベル協議でいつ決着が付くのでしょうか。

2009年11月13日(金)
京都不動産コンサルタントからの情報

先の11日のニュースによれば、予想通りとも言える発掘の記事がありました。
纏向遺跡から3世紀前期から中期のものとみられる大型の建物跡が見つかったと。これは今年3月の調査の続編ということですが、地道な現場主義の中から、遠い存在である卑弥呼に近付いたという証拠になればいいのですが。今後の新たな発掘が待たれますね。

写真は3月の現地説明会の様子
写真右側を今回発掘したようですね